僕の人生の旅は夢の途中

僕の人生の旅は夢の途中

 

人生の旅というのは、車の運転に似ている。

車というのはエンジンをかけてギアを入れてアクセルを踏めば走り出す。

例えば 「成功」という場所へ行くと決意する。

この決意することは、エンジンをかけてギアを入れること。

決意したら行動開始。

この行動開始はアクセルを踏んでハンドルを操作すること。

これでクルマは「成功」という目的地へ向けて走り出すことになる。

そしてこのまま順調に走り続ければ、いずれは「成功」という目的地につくことになる。

ただ、実際には、なかなかアクセルを踏みっぱなしというわけにはいかない。

時には周りの状況を判断してアクセルから足を離し、ブレーキを踏んでスピードの調節をやる必要がある。

アクセルから足を離し、ブレーキを踏めばスピードは落ちるし、そのまま踏み続ければ、やがてクルマは完全に止まる。

 

人生の旅には3つのブレーキがある

 


ところで人生の旅には、通常のクルマのブレーキとは違って、3通りのブレーキが存在する。

ひとつはルールというブレーキ。

日本をはじめとする法治国家では、ルールを無視して手段を選ばず、というのは通用しない。

つまり、これに関しては社会のルールに則って踏み込むブレーキだから、いいも悪いもない。

もうひとつはそれまでに培った価値観から派生する迷い・葛藤。

そしてもうひとつは、幼い頃から長きに渡って周囲の者たちから植え込まれた【コアビリーフ】というブレーキだ。

コアビリーフ というのは、その人が無意識レベルで持っている信念とても言おうか。

たとえば、周囲の人間からお前は素晴らしい子だとかいう、栄養分のある言葉をかけ続けられれば、やがて無意識のうちに【自分は素晴らしい人間なのだ】というプラスのコアビリーフ が出来上がる。

逆にお前はダメな人間だとかいう栄養のない言葉をかけ続けられれば、やがて無意識のうちに【自分はダメな人間なのだ】というマイナスのコアビリーフ が出来上がることになる。

厄介なのはここからで、迷いや葛藤、そしてマイナスのコアビリーフというブレーキは、下手をすればクルマの動きを一瞬で完全に止めてしまうばかりか、ブレーキパッドとブレーキディスクを完全に固着させてしまう可能性が高くなる。

クルマの動きが完全に止まってしまい、簡単に動き出すことができないということは、成功という目的地に到着するのが大幅に遅くなる、あるいは人生の旅そのものが続行不可能になることを意味する。

だから、これらのブレーキは一旦固着させてしまうと、元どおりに修復するにはかなりの作業量を覚悟しなければならない。

 

過去の自分はマイナスのコアビリーフで満開だった!!

 


では、現在の僕はどうなのか?

その前に僕の幼少から少年の頃の話をしよう。

あの頃を振り返ってよく観察すると、幼い頃から僕は自由人だった。

とにかく自分の関心事、とりわけクルマの事以外には全く興味を示さない子供だった。

だから学校の授業も上の空で宿題もやらなかったし、忘れ物も多く、また、それでも全くもって平気の平左だったのだ。

しつけの厳しい家庭だったので、両親に怒られることはあっても、褒められることなど滅多になかった。

そうすると常に浴びせかけられる言葉は・・・説明の必要もないだろう。

そんな環境だから、僕はやがてクルマに関すること全てについて禁止令を発せられることになる。

ただ、ここで僕が自由人なのは、好きなものは好きなので、程なくして親に隠れてクルマの絵を書いたり、本を隠し持って布団の中や自分の部屋の片隅で読むようになる。

自由人なのはいいけれど、こんなのどう考えても健全ではないから、【自分の好きなことはやってはいけない】という信念と罪悪感が植え付けられることになる。

親父が事業で成功し、豪邸や、好きなはずなのに触れることが許されないメルセデス・ベンツやポルシェに囲まれて暮らし、両親の口癖は常に『こんな状態がいつまでも続くとは思うな』だった。

学校生活でも、一所懸命にやってるつもりだけれど笑われることが多かった。

だから当時は、側から見たら金持ちの家のボンボンが栄耀栄華にノホホンと暮らしてるように見えたかも知れない。

【物心ともに豊か】という言葉がある。

自分の幼少期を客観的に俯瞰の目線で見たとき、確かに物では豊かでも、心は何ひとつ満たされない子供時代だったといえる。

そんなこんなで、僕の信念にこびりついたものは


【好きなことは罪だ】【幸せなんて続かない】【自分は価値のない奴だ】【甘えることは許されない】【どうせ僕なんやから】【僕のクセに】【何をやってもダメな奴】【嫌なことや恥ずかしいことばかりがやってくる】【失敗製造機】【面白くなくて当たり前】


という、自分でも涙が出てきそうな(笑)ものばかりだ。

これらを総合すると、僕のコアビリーフはどうやら


【自分は罰せられるために生まれてきた】


ということらしい。


で、話を現在の僕に戻すわけだが、もともと自由人だった僕は、少年の頃からずっと自分でお金をいっぱい稼いで家族に何不自由ない生活をさせる!という思いを持っていた。

そのために、社会人になってから自分では必死にやってきたつもりだが、残念ながらその思いは未だに叶っていない。

やる気は満々で、フットワークも軽く、そのための行動も起こしてパワフルに進めて行くのに、社会人として経験を積めば積むほど結果が出なくなった。

以前の記事でも触れたが、意気揚々とブログを開設しても、それがなぜか続かないのだ。

で、少し前の僕にはその理由が全くわからず、【オレのくせに、成功などおこがましいということか】と半ば腐りかけたこともあった。

そこで出会ったのがこのコアビリーフという考え方だ。

この考え方を知ることで、これまでの僕が日の目を見なかった理由がハッキリと浮き織りになった。


つまり・・・


成功したいという思いは長年全くブレておらず、そのためにずっとアクセルベタ踏みの全開でいたのは間違いない。

ただ、僕の場合はアクセルをベタ踏みすると同時に、迷い・葛藤、そしてマイナスのコアビリーフという無意識のブレーキをも同時にベタ踏みしていたのだ。

それでも今いる場所が平地あるいは下り坂なら、ちょっとずつでも前に進んで行けたのかもしれないが、逆に登り坂になると失速し、勾配の角度によっては完全に停止、下手をすれば後ろに下がって行く・・・・

自分では一生懸命やってるつもりだけれど、無意識のうちに成功とは反対の行動に出ていたのだ。

社会経験を積めば積むほど結果が出なくなったというのも、これで全て説明がつく。

 

無意識のブレーキを修理・解放することで状況は好転した!!

 

そこで僕がやったことは、そういう迷いや葛藤、そしてマイナスのコアビリーフ を手放すこと、つまりはガッチリと固着してしまった無意識のブレーキを修理し、解放状態に戻すという作業だった。


そうすると、ある時点から、【スカッ】とも【スコーン】ともつかない快音を立てて、自分の中で何かが突き抜けたような感覚になった。


それ以来、もちろんまだまだ自分が望む状態にはなってないけれど、【オレの人生の旅はまだまだ夢の途中】という具合に、着実にそこへ向かってる!という実感が得られるようになった。


こうなればこっちのもの。


たった一度の人生を面白おかしく楽しみ尽くすべく邁進して行くので、応援をよろしくお願いします!

 

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徳川貴文(Takabou)
何ものにも縛られないストレスフリーなライフスタイルを追い求めてマルチに働きマルチに遊ぶ自由人です。一度きりの人生を自分らしく自分の価値観で面白おかしく自由に生きるために、日々活動しています。詳しいプロフィールはこちらからどうぞ。